基調講演「コンセンサス会議とその可能性」
会場:姫工大環境人間学部F201大会議室
講師:東京電機大学・若松征男教授

[BACK]
若松でございます。
今日は和崎さんにお招きいただき、嬉しく思っております。私はコンセンサス会議の伝道師ですから少しでも聞いていただければ大変嬉しいです。
皆さん自己紹介されたので、私も一言だけ。大学の教員をしていますが、21年間岩波書店で編集の仕事をしていました。研究がしたくて1988年に会社を辞め、6年間ほど大学院で学びました。そのうちの1年間、デンマークで、科学技術にかかわるコミュニケーション、つまり科学ジャーナリズムの研究の中で、コンセンサス会議という方式に出会いました。1994年からようやく給料をもらうようになりました。
今日は2つのことをお話ししたいと思います。1つは、コンセンサス会議って何だろう?ということです。これは何かをやる時の会議の方式です。でき上がったものがあるのではありません。比較のために言いますと、「朝まで生テレビ」は声の大きい者、理不尽なことを言う者が勝ち、みたいなところがあり、結論が見えなくなる、これも1つの形です。また、田原総一郎さんが番組で議論、バトルをさせるのは、ボクシングのレフェリーと同じやり方で、やりあっているのを適当なところで分けて「問題はこうだろう」というやり方。議論を進めるやり方ではないが、これも1つのやり方。そういうものと同じ意味でコンセンサス会議という方式があると思って下さい。これから紹介するデンマーク方式は「標準」ですが、守らないといけないというものではない。今までの日本での2回の試みでも、近い形ではしましたが、デンマーク方式をそのままやったわけではありません。エッセンスの部分は守ったつもりですが。
2つの目的。1つはコンセンサス会議がどんなものか、そして地域でコンセンサス会議を使うことを提案したいと思います。
まずコンセンサス会議の方法です。「公募などで選ばれた市民が・・・」とありますが、標準方式では15〜6名です。「あるテーマについて・・・」とありますが、科学技術を扱うための方式として生まれました。市民パネルと呼ばれるひとたちが、専門家のプレゼンテーションを受け、質問、やり取りをした上で、「市民の間で討論し・・・」とありますが、丸テーブルをかこんでほぼ1日がかり
で、市民パネルの合意、合意というより「こういう風に理解しました」ということと、「その課題に対してこうしてほしい、こうあるべきだ」ということを議論をした上でまとめます。まとめたものを広く公表します。ここではプレスリリースになっていますが、私たちは公開シンポジウムという形でしました。
コンセンサス会議のやり方そのものはこれだけです。では、この方法にかかわる人たちを見てみます。「コンセンサス会議を構成するアクター」とはどういう人々か。社会に伝える力をもっている「メディア」は、コンセンサス会議が社会にとって意味をもつためには大切です。私たちがいくら物を言っても、伝えてもらわなければ人々に通じません。プレスとは仲良くしておく必要がある。その上の「専門家パネル」は、その技術等にかかわる、我々が普通に思う「専門家」を越えています。例えば原子力や遺伝子組み換え食品では、反対を表現する人がいますが、その人たちも専門家パネルに入ってもらいます。普通よりも広い意味での専門家です。別の言い方をすると、強い意見で議論をかき回す人、自分の意見だけ強く主張する人が市民パネルにいると議論にならないので、そういった人は専門家パネルにまわってもらい、強い明確な意見を伝えてもらうことになります。
その上が「議長、モデレーター、ファシリテーター」。これは皆さんがこれからテーマ・方法を作り出されるコミュニティーコンセンサス会議では、大きな役割です。自分の言いたいことだけを言う人をさばくだけでなく、行政や大学関係者等の専門家の場合、「これは専門的知識です」と言いながら、実は価値判断をしたものを提示する場合がある。これは整理して議論の区分けをしないと、きちんとした議論ができません。または、いろいろな議論の出し方をする時に、皆が議論できるような態勢を作る、議論を援助するファシリテーターの役割は大切です。テレビの人気司会者のように議論をうまくまとめることでもない。議論を支援する役割です。調停という意味もあるが、議論を仲介し、まとめていくものです。日本では、職業としては成立していないが、高いお金を出してでもよいファシリテーター、モデレーターを求めるべきだと思います。
その上に、「主催者、運営委員会、会議事務局」とありますが、ここにこれから皆さんが入られると想像しています。これは、コンセンサス会議という方式を使って何かのテーマについて議論してみましょう、そしてできれば行政に影響を与えましょうというわけですが、その前にいろいろな国で試みられたコンセンサス会議では、どういうところが運営・主催したのでしょうか?コンセンサス会議がどうして生まれたかを少しお話しします。1960年代「公害」が日本を席巻しましたが、60年代末に
アメリカでテクノロジー・アセスメント(技術評価)の考えがでてきました。公害の場合、技術を社会に入れたときにどんな結果になるかを予想しなかったため起こってしまった、これからはあらかじめ技術を評価しておこうという考えです。アメリカでは議会の下にOffice of Technology
Assessment(OTA)という組織が生まれ、1974年から95年まで続きました。日本でも公害が問題になっていた1969年ごろ導入しようとし、政府も取り入れ始めたのだが、科学技術庁や通産省などでは結果的に「どんな方法で評価できるか」という手法研究をやってしまった。しかし、オイルショックのせいでテクノロジー・アセスメントどころではなくなってしまい、80年代初頭まで官庁がいくつか研究プロジェクトをやったものの、結局は取り入れられなかったのです。テクノロジー・アセスメントの正式なものではないが、80年代はじめ川崎市が一番最初に環境アセスメント(現在は環境影響評価法という法律になっている)という形を取り入れています。ヨーロッパでは、80年代半ばに、OTAに似た組織があちこちで生まれ、デンマークではDBT(デンマーク技術委員会)、フランスでは議会の中にテクノロジー・アセスメントのための組織ができた。ヨーロッパでは2つのタイプがあります。議会の下にある組織と行政府の下にある組織です。スイスのScience Councilなどは行政府の中にあり、テクノロジー・アセスメントをやっています。中間にあるものもあります。例えばデンマーク技術委員会は、今は議会とも政府とも等距離になっています。オランダもこれに近いです。政府の下というと、日本の学士院にあたる組織がテクノロジー・アセスメントをやっている場合もあります。日本で2回やった時(遺伝子治療/インターネット)は、大学の研究者が中心でした。
去年のカナダでも大学の研究者がこの方法を使って見ようと試みました。
ヨーロッパではテクノロジー・アセスメント、市民参加型をやることがいわば国の方針になっているが、日本では1歩2歩遅れた状態といえます。新しい科学技術白書には、「科学技術政策に国民も参画を」と書いてあります。科学技術だけでなく、なんでも「国民と相談した上で」ということが言われ、市民参画はやるべきだとされているが、ではどんな方法で、誰が責任をもってやるのか、までには至っていません。私たちは研究者としてやってみせましたし、今度は地域でコミュニティーコンセンサス会議としてやってみせた上で、行政あるいは議会とどうかかわっていけるかが今後の皆さんの課題です。その意味で市民(住民)参画、国民参画を進めていく上で「主催者、運営委員会、会議事務局」が動いていかなければならない。
将来の理想としては、日本ではこの方式はうまく行かないのではないかと正直思っています。どうしても役所に取り込まれると身動きが取れなくなります。役所は「落としどころ」を決めておいてそこにもっていく。テクノロジー・アセスメントにしてもまちづくりにしても、政府が何か問題を明らかにする必要があるときに、NPOやNGOにお金をだして「これでみんなで議論してやってください。そこに政府(議会)が参加していきます」という方法が日本では望ましいのではないでしょうか。その意味では、我々市民側が力を蓄えていかなければなりません。
デンマークの標準方式は1つのやり方ですが、コンセンサス会議のハートの部分はどこにあるのでしょう?まず、専門家でない素人15〜6人が主役になり問題を評価し、合意を作り出します。しかし住民、あるいは国民の「代表」ではなく、1つ「モデル」なのです。さまざまな属性(性別、年齢、職業、学歴等)の人が議論した時に、何がうまれるのか、どうやって共通理解に至るのかを出すための「モデル」です。次に、課題についての専門家、専門知識が存在することが大切です。科学的、技術的な話しだけでなく、社会や経済にとっての意味まで話してくれることが大事なポイントです。市民パネルは質問〜鍵となる質問〜を投げかけ、多様な角度からの専門家が答え、その会話を通じて、社会として何をすべきかの共通理解を出すことがコンセンサス会議の方式です。地域で行うときには、専門家、専門知識の存在が大事になります。科学技術と違った専門知識が要求されるかもしれないからです。メーリングリストを見ると、教育に関心がおありのようですが、専門知識が存在しないと、単なる話し合いでは議論が空中戦、カラ回りになってしまいます。コンセンサス会議が誕生したのは、一般の人は専門知識に近づきにくいという背景があったからです。遺伝子治療の時には、事務局が技術についての基礎知識、状況を提示し、市民パネルはその上で、課題は何かを定式化します。反対を唱えている意見の専門家がいる場合も意見を明確に受け止めた上で考えます。
ここまでの所でご質問はありませんか?

Q)市民パネルを「モデル」と考える場合、15〜6人では難しいように思います。属性を分けるとすぐに15、6に分かれてしまいます。何らかの方法論はありますか?
A)「モデル」という言い方自体に問題があるかもしれませんが、結果的に15〜6名の半分近くが、男女、年代も分かれ、地域もばらけておれば、近い形になるのではないでしょうか。また、議論をするときにはサイズの問題があります。話しを聞くだけならともかく、議論を闘わせる場合は15〜6人でも多い場合もあるかもしれません。
(和崎補足:2回目のコンセンサス会議に参加したとき、色々な人がいるものだと感心しました。
人数ではない、バリエーションを実感しました。進んで応募してきた人は、それぞれのモデルを代表されているのだなと思いました。)
市民パネルを選ぶ方法は2つ。1つは新聞などの公募で集まった人を母集団として選ぶやり方。もう1つ、日本では難しいかもしれませんが、デンマーク、スイスでは、国民背番号を使って無作為に選びます。スイスでは4000人ぐらい選び案内状を出すと、1割ぐらいが返事が来る。さらに条件等をやり取りしたあと母集団を作ってそこから選ぶのです。公募でも、週末を何度も使ってでも参加する意思のある、興味のある人の中から選ぶわけですから、「モデル」とは言い難いかもしれません。
ただ、課題について、属性の違う人達が議論するとどうなるか、という意味でのモデルとはいえるでしょう。
Q)市民パネルの公募で、事務局ではどういう選択肢をもって選べばよいのでしょうか?
A)今まで、たくさんの中から選んだ経験はないですが、2回目の時、ちょっと首をかしげるような人がいたので遠慮してもらいました。あと、専門家パネルの方にまわっていただいた場合もあります。
主催者は運営委員会を作り、プロセス全体が公正・公平に行われるように監視し、実行します。選択の責任の所在はまずここにあると思っています。諸外国の運営委員会の基準は、属性のバランスをとり、参加したいと思った理由をみます。なぜか?しんどいテーマについてしんどい方法での議論を一生懸命やってもらわないといけないから。イギリスの例では「おかしい人ではないかをみる」と率直に言っていました。極端に自分を主張したり、宗教的な信念だけを言われたりすると、議論になりません。属性をランダムに選べばよいものでもない。知識の多寡、宗教的信条に関係なく、市民パネルの役割を果たしてもらえることが大切です。代表性、モデル性よりも、グループとしての議論が成立することが大事です。
Q)まちづくりがテーマになると難しいのでは?
A)関連のためにお話しを続けます。総選挙の前に市民討論会が開かれましたか?かつての立会演説会のかわりとして、市民がボランティアでやっているものです。各候補者の話を時間を決めてならべて聞く。確か、会場からの質問はダメですね。これはルールがきちんとしたゲームだと思っています。
今の日本では、議論する、交渉することが必要になってきていますが、「朝まで生テレビ」や田原さんの方法ではダメで、市民討論会のように、互いがルールを納得した上で参加することが必要になります。コンセンサス会議でも、「こういうルールを用意し、テーマはこれです。皆さん参加してください」ということになります。スイスで、議会、行政、市民が集まって課題について議論した時に、
ルールを次々に変えてしまい失敗した例がありました。最初にルールを作ったら、目的だけでなくルールを共有することがまず大切です。
Q)専門家パネルの選別が、主催者の意図に左右されたり、片寄ったりすることはないのですか?
A) 問題にもよると思いますが、医療の場合は、どういう専門家がいるかは学会などで「みえて」います。しかし、意見の専門家や、科学技術の問題でも経済学・社会学の立場から誰を選ぶかになると、そんな問題が出てくる可能性はあります。そこで、コンセンサス会議の仕掛けを言いますと、どういうプロセスで行われたか、結果もあわせて透明にしておくのです。プレスリリースの段階でどんどん情報を出し、もし専門家の選び方が片寄っていたら批判としてだしてもらいます。ホームページの時代でも、新聞やテレビの力はまだ大きいので、メディアとは仲良くしておきたいです。